セニングシザーの特長
カリスマ美容師をはじめ、本物を目指す美容師に認められた
世界を股に架ける「セニングの魔術師 天才・栗林達也」
コスモ・スミス栗林達也のセニングは、カリスマ美容師を始め、本物を目指す美容師・理容師に認められています。
日本刀の刃付技術と理論を学び、直接理美容師の生の声を聞いた研鑽の日々によって磨かれた技術とセンス。
弱冠25歳でデビュー以来、天才的な技から生み出されるシザーは切れ味・使い心地・耐久性のどれを取っても抜きん出ています。
日本国内は元よりアジア・欧米各国の業界関係者からも賞賛の声が届いています。
栗林達也のセニングは本物を目指すプロ仕様
「髪を傷めない」「疲れにくい」「切れ味が持続する」ことが本物の証です
日本国内のシザーの中でも「理美容師のこと」と「髪のこと」を考えたシザーは少ない。
本物のシザーとは切れ味はもちろんのこと「髪の毛を傷めない」、「長時間使っても疲れにくい」、「切れ味が持続する」ことが条件です。
栗林達也のシザー創りの製造基準は以上3点であり、また本物を目指す理美容師に取っても正しいシザー選びの基準であると考えています。
シザー・セニングの特長
「髪を傷めない」特殊形状刃を使用!
従来のセニングでは、刃の構造上どうしても髪の毛を傷めます。その為、セニングの使用を控える理美容師もいらっしゃいます。
のセニングは、刃の形状が従来品とは全く違います。髪を傷めない特殊形状の刃を使っております。
「髪1本1本の細胞を潰さずに切れる」のは、ハンドメイドによる微調整技術!
髪は非常に細くデリケートです。セニングの良し悪しによって髪の細胞を潰してしまいます。
は、ハンドメイドの微調整技術によってシザーの噛み合わせやバランスを最適に調整致します。
髪は1本直径60〜70ミクロンですからシザーも ミクロン単位の微調整が必要になりますが、これは機械加工では不可能です。
髪をせん断するときのイメージ図
一般的な鋏
普通の鋏は、溝に入った髪の束を押しつぶして切るので強い力が必要なうえ、切り口がいびつになることもある。
コスモ・スミスの鋏
コスモ・スミスの鋏は、階段状の溝に髪が収まり紙の束が小さいため、滑らかにしっかりと少ない力で切れる。切り口もキレイ。
「疲れにくい」のは、人間工学に基づいたデザインとフォルム!
現在、シザー業界は派手なデザインや機能がクローズアップされています。これは、一歩間違うと作り手主導のシザーであり、使い手である理美容師のことを考えない製品になる可能性があります。
つまり、シザーの形状に理美容師が握り方を 合わせるというケースも多々見られます。
のシザーは人間工学に基づいた 科学的な理論で、使い手である理美容師の手に負担の掛からないデザインと形状及びバランスを実現しました。
「切れ味が長持ちする」のは日本刀の製造技術をベースにしているから!
のシザーは滅多に修理依頼がありません。
この脅威の切れ味の持続には、日本刀や剃刀の製造技術をベースにしていることが上げられます。
素材(鋼)を鍛え上げ切れ味の持続を極限まで高める鍛造技術が究極の耐久性を実現しました。
「30日間返金保証」が付いています!
インターネットで実物を触らずに購入するにはリスクが伴います。やはりシザーのフィット感や切れ味などを試してから購入することが安心に繋がります。
そこで の全てのシザーには「30日間返金保証」を付けました。
まずはご購入いただき「思っていたシザーと違った」、 「手にフィットしない」など、ご不満がある場合は 商品到着後30日以内であれば全額を 返金いたします。
高額なシザーを、しかもインターネットで購入するのですから納得して購入して頂くのが私達の姿勢です。
有限会社コスモ・スミス 代表取締役:栗林達也プロフィール
一念発起「自分の可能性を試してみたい」という想いで職人の道へ
栗林達也は昭和47年に新潟県三条市に生まれ、地元工業高校機械科を卒業。 そして地元某大手機械メーカーに工作機械オペレーターとして就職。 約4年間のサラリーマン生活に不満はなかったが、子供の頃からモノ作りが好きだった栗林は物足りなさを感じていた。
栗林の父はシザーの材料や部品を販売していた株式会社山村製作所に勤務していた。
社長の山村登は「いつかシザー自体を製造したい」と考え、人材を求めていた。 当然、栗林の耳にも入った。 栗林は半年間悩み続け、三条市にシザー創りの職人が いなかったこと、そして何より自分の可能性を試してみたい・・・という想いが周囲の猛反対を押しのけ、職人の道を選ばさせた。
1995年3月、栗林22歳の春だった。
「君は職人には向かん」と断言された日々・・・、「いつかみていろ!」と心に誓う
翌4月、山村社長の紹介でシザー業界では第一人者の高橋福太郎氏の元へ弟子入りした。
栗林は新潟県阿賀野市の工場に修行に入ったが、16名の従業員たちと一緒に昼間は一工員として働かされる日々であった。
終業後夜になり、やっと職人としての腕磨きの修行が行えるといった状況であったばかりか、修行であるから無給である。
栗林は一心不乱に修行に励んだが、機械オペレーターと勝手の違う一心に魂を詰める作業に苦労した。
なにしろ、修行先の社長や職人仲間から「君は職人には向かん」と断言されていた。 栗林は「いつかみていろ!」と心に誓い、修行に励んだ。
連日深夜まで続く研究と修行の日々
1年間の修行、そして半年間のお礼奉公、実質1年半の修行を終え栗林は三条市に帰ってきた。
恩人・山村登の会社、山村製作所に在籍し、今度は山村と二人三脚の戦いが始まった。
栗林が創るシザーを売り物にはせず、山村はことごとく批判し、容赦なく問題を指摘する。栗林が創ったシザーを美容師さんに使ってもらい指摘を受ける、作り直してはまた指摘を受ける。
この繰り返しを何度も何度も行い、問題を一つ一つ解決していく。
このような研究と修行を連日深夜まで1年間続けた。冶金学・鍛冶技術(刃物の刃研ぎ理論)では日本を代表する岩崎重義氏の鋼の研究理論を継承する山村の指導を受け、栗林はシザー職人への道を日々研鑽した。
山村社長は言う。 「金儲けに走るのではあれば、理美容鋏は使える程度で売れれば良かった。 只、栗林は若いので妥協させてはいけなかった」と。
25歳でシザー職人としてデビュー
1997年10月、栗林25歳の秋、自身の会社「有限会社コスモ・スミス」を設立する。
栗林の創るシザー、特にセニングは高い評価を受け、マスコミにもたびたび取り上げられている。シザー創りへの飽くなき探究心と情熱、研ぎ澄まされたセンスの良さで弱冠27歳にして早くも一流プロ向けシザー職人との評価を受けた。
栗林は短期間で急速に腕を上げ、大輪の花を咲かせた。
恩人であり師匠である高橋福太郎氏にも自作のシザーを見てもらった。
一言も誉めずに「向上心を忘れるな」とだけ言った。
「今の自分に決して満足するな。研鑽を怠るな」という メッセージを栗林は受け取った。
シザー創りに懸けるロマンと情熱
現在、韓国や中国でもシザーを製造しているが品質において日本製と格段の差がある。
しかし、日本製でも問題を抱えている商品はまだまだ多い。
「多くの理美容師に、そのことに気付いてもらいたい」という想いも栗林にはある。
更に日本国内は元より、アジア・欧米各国の業界関係者からも賞賛の声が届いている。栗林の新たなロマンは始まったばかりである。